奈良・南紀周遊

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9月12日
 朝から晴れていて、富士山が良く見えた。関西空港に着陸したのが9時12分。

 阪和自動車道−近畿道−阪神高速道−第二阪奈自動車道を通って、春日大社の駐車場に到着したのが11時10分だった。

 奈良公園は自由散策で出発が13時30分の予定だった。最初に春日大社を全員で参詣し、刃物屋でお茶を一杯飲んで解散。さっそく店から出て春日山の縁を三月堂へ向かう。途中の手向山八幡を覗く。三月堂の隣に二月堂がそびえていた。二月堂には立派な吊灯篭が並んでいた。見晴らしも良く、大仏殿を眺めていると、堂守りのおじさんが、写真を撮ってあげますよと言ってシャッターを押してくれた。
 鐘衝き堂から大仏殿に下って行く石段では、数人の人が石段に腰掛けて絵を描いていた。大仏殿の周りはさすがに賑やかで鹿も沢山群れていた。
 大仏殿の中に入ってほっとする。外は暑く、ぐったりしていたが、天井の高い屋根の下で、入口からの風が心地よくしばらくじっとしていた。ここへは修学旅行で来ているが何も思い出せなくて、初めて来たのと変わりない。
 大仏殿の前の池の辺のベンチで、家から持参の弁当を食べる。鹿が居たけれども寄ってくる様子は無く、のんびりとにぎりめしを食べる。鹿の好物でないからか。
 ここから駐車場へ戻るには早すぎるので、少し遠いが、興福寺へ向かう。五重の塔まで行ったが猿沢之池までは行く時間が無くて引き返す。時間が気になり出して一生懸命歩く。南大門まで戻って来たのが10分前。1号車の仲間が3人反対方向を向いていたがタクシーを探しているのだろうと、目もくれずに急ぐ。少し遠回りして汗だくでバスに戻ったのが2分前。まだ3人が帰っていなかった。最後でなくてほっとした。11分遅れて、13時41分出発した。

 14時45分飛鳥寺到着。ここの大仏は日本で最も古く西暦606年作だそうだ。右からの顔と左からの顔が違って見えることでも有名である。でも大仏といってもそれ程大きくない。何度か火災に会っているとのことで、修理跡もあった。建物は江戸末期のもので170年経っているそうだ。

 明日香村は墓の村だ。石舞台古墳、高松塚古墳と見学して回った。

 今日の泊りは高野山の宿坊だ。標高900mに向かってつづら折れの細い山道を登る。ふもとから17kmを55分かかって18時55分到着した。よく喋る住職の話が19時25分まであり夕食は19時40分から始まった。風呂は狭く5人程で一杯になる。からすの行水程度で出る。テレビは有料で3時間100円だったので見ず、久しぶりにテレビの無い日曜の夜を過ごした。

9月13日
 6時30分から朝のお勤め。自由参加なのに全員出席したようだ。さすがに坊主は良いことを言う。ガンに罹ったら感謝しなさいと、ボケて生き長らえるのでなく、確実に死ねるのだから。また、ボケ防止に、老人は経験を若者に話せとも言った。それが日本文化を守ることになる、とも言った。

 朝はどしゃぶりの雨だったが、出発する時には止んでいた。最初に高野山奥の院の参拝で、高野山に着いた時から乗り込んできた老人が案内を勤めた。ここはどんな宗派でも平等に葬るそうで会社の墓が多い。魚や白蟻の墓もあった。ゆっくり参拝して9時50分に高野山を後にし、標高1000mの竜神スカイラインを通って白浜へ向かう。

 和歌山県の県木は「うばめがし」でそれを焼いたものが「備長炭」だという説明を聞きながら、立派な竜神村役場を見て、国道371号線をバスに揺られて行った。

 三段壁のレストランで昼食。食後、三段壁を見学。断崖が続く海岸は自殺の名所だそうで、命の電話の看板もある。
 バスで少し移動して、千畳敷を見学。白くやわらかい砂岩は簡単に文字が書けるので、落書きが多い。

 海岸線には海紅樹(沖縄ではデイゴという)が咲いており、南国を実感する。バスは本州最南端の潮の岬を見ながら走る。

 今日は早い到着だ。ホテルの部屋からは大島と橋杭岩が見える。大相撲をやっていたのでテレビを見てから風呂に入る。風呂は大きいが人も多く洗い場は満員だった。

9月14日
 天気予報では午前中は晴れだったのに、朝から雨が降ったり止んだりしている。5時45分頃障子が赤いので起きて窓の外を見ると、大島の端から太陽が昇っていた。急いでカメラを出して写真を撮る。間もなく曇ってしまった。

 橋杭岩は車窓からの観光だそうでがっかり。知っていれば昨日行っておけば良かった。良くスケジュールを見るべしと反省する。

 最初の停車地は那智の滝。傘を差しての見学。近くで見上げる滝は見事である。が、日本の滝は高さはあるが、幅が狭いので迫力が無い。
 バスに少し乗って、那智本宮入口に到達。ここから石段、土産物屋で杖を借りて登る。雨は依然として止まない。青岸渡寺の三重の塔越しに那智の滝を眺める。

 バスは、新宮から新宮川に沿って登る。この川は熊野川さらに上流は十津川といわれていた川を、建設省が新宮川と統一した名前にしたそうだ。志古という所で弁当を積み込んで、熊野本宮へ向かう。
 真っ直ぐに伸びる石段を登ると、社があった。神門を潜って本殿に参拝しようとしている時にどしゃ降りになった。あわてて屋根の下に避難する。どしゃ降りの中、濡れながら手を合わせている若者あり。連れの女性はすでに屋根の下に避難している。

 十津川に沿った国道125号線は細くくねくねと曲がっており、対向車があると慎重にすれちがう。大型どうしの場合は大変だ。何度かバックしたりさせたりでこんな所は運転したくないな。

 最後の観光地、谷瀬の吊橋も雨。長さ297.7mの日本一長い吊橋だそうで途中まで行ったが戻る時のことを考えると恐くて引き返すことにした。しかし振り返ると半分以上来ていた。

 関西空港には20時15分に着いて21時30分発の飛行機に乗って帰京した。

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